時は鎌倉の頃 承久三辛巳年(1221年)二月十一日 五穀豊穣、一郷安全を祈り一郷(北金井・西方・大泉・東一色)協議の上、皇大神宮(伊勢神宮)より勧請し創祀されました。
合殿神の春日社は昔この地にあった真言宗永源寺の鎮守社であり、正応三年(1290年)霊験があり祭日を八月十八日に定められたとされ、現在でも八月十五日の『中元祭』として斎行されています。
金巌社はこの地の地頭であった種村家の祈願社であり、金巌という所にあったと言い伝えられています。
時は流れ明治の頃、合祀令により金井、春日、金巌の三社を合祀、今日にいたるまで金井の郷の氏神様としてお守りいただいています。 詳細